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2010年代 ブランドと家族

高価なもの。顕示的消費、ヴェブレン効果という。

良いものは高い。良いものを安くするには、自動化と規模の経済が必要になる。自動化するには標準化が前提であり、規模の経済を追求すれば、いずれはコモディティ化する・・・極端な言い方ではあるが。
バッグも革が1枚1枚ことなるので同じものはできない。職人が1本1本縫い込んでいけば、マシンでは出せない味わいというものが出てくる。

Harvard Business School の David Garvin教授によると、品質の定義は、客観的なものと主観的なものに分かれる。客観的なものは、パフォーマンスである。コスト的で短期的で、批判的思考という側面を持つ。機能的で、性能を問い、信頼性が重視される。一方、主観的なものとは、創造的で文化的で、長期的なものだ。こちらは、美しさや知覚品質の類だ。

良いものは長期的だ。衣類やバッグも同じだ。使い方にもよるが。
100万円もするバッグ。しかし、丁寧に使い込み、革の手入れをする。娘がお嫁に行く時に、渡す。いずれ孫娘にそれは渡される。価値は時間とともに蓄積される。ものは使い込むと、ものを通して人柄のようなものが吹き込まれる。
高価なものが欲しい、というのは消費者としては未熟なわけで、良いものと過ごす時が欲しいという感覚が大切だ。ブランドにアイデンティティを委ねてはいけない。
ブランドを購入するということは、高いものを買うということではない。バッグを買うということではない。質の良いものを買うということだけでもない。人生のひとコマとして、お店に行き、語り、選び、生きる。
ブランドとの付き合い方というのは、そういうものなのではないか。

1990年代 家電

5Forcesは市場規模と競合他社を見る。日本の家電は多いのではないか・・・素朴に感じたものである。

ファンダメンタルズの最も基本となるのは、人口である。
日本の貯蓄(資産)の多くは高齢者が保有している。ジニ係数を見ればわかるが、この言い方は正しくない。高齢者の中のごく一部が保有している。

日本の家電も海外に進出・・・しかし現実は十分に、そうだとはいえない。多くは国内市場で勝負している。
家電は生活スタイルであるので、マーケティングが基本だ。エアコンも冷専で良いかもしれない。全自動より二層洗濯機の方が合っているかもしれない・・・。

私が担当させていただいた家電も、量販店の力が強く、価格は量販店は決めていた。メーカーからも販売員は行くものの、量販店の意向に左右されることは事実だ。
エアコンは、日本ではコモディティ化している。エアコンというか空調のない空間は、特に夏は室内でも熱中症になり、危険だ。
売れるかどうかも、天候の影響を受ける。エコポイントという政府支援はあっても、それは本来ではない。

一般的な機能のエアコンであれば、差別的優位性はないので、価格勝負になる。そうなれば、水平統合を目指し、部品購買をグローバルで大量に調達することが重要になる。一方で重要なのは、現地でのマーケティングだ。
そして、B to Cの家電にとって欠かせないのが、ブランドである。イメージキャラクターなどを使うこともあるが、ブランド創造の基本は、新たなカテゴリーを最初に創造することだ。

家電、自動車いずれも長く担当させていただいたが、設計における原低は、先ずは機能を満たしてから原低を考える。価格から入ることはしない。少なく私が現場で見た限りではそうだ。
日本は経費固定・利益変動という感覚がある。先ずはコストを見積もる。
海外は利益固定・経費変動だ。先に価格を考える。
どちらが正しいという議論は不毛だ。何に価値があるかだ。

新たな技術は競争軸を変える。研究開発は継続して重視することが求められるが、同時にマーケティングに基づいた製品化のスピードが課題である。

2000年頃 グループ経営とEVA

1980年代、戦略論が輸入された。私が所属していた日本能率協会グループは、名前からして古いイメージがある。能率という発想自体が時代にそぐわない。戦略の時代だ・・・。

お金にとって国境は障害になる。企業の会計も国が違うと財務諸表も違う。既にグローバル経営の時代であった。
昔、連単倍率という指標があった。それがグループ経営ということで連結が前提となった。
海外子会社も含め連結だ・・・ERP稼ぎ時の時代である。マッチポンプなのか・・・。

価値というと株主価値、それはEVAであった。2000年にスタン&スチュアート社日本法人が神谷町にできた。
資本コストという概念が重要視され、株主重視が叫ばれた。同時に、銀行中心の日本企業はガバナンスがないと非難された。
勝手に批判する前に、歴史認識を持っていただきたいと思った次第だ。何故、PLに金融収支が別枠で存在するか・・・しかし、日本人は言わないものだ。

業態が異なれば収益率も異なる。既に産業構造が転換された米国と輸出・製造業が中心(中心というのは、国際協力がある産業または企業が、輸出できる企業という限定した意味でここでは言っている)の日本では異なる。
この辺りから、要はキャッシュを稼ぐことが最も重要なのだという風潮にかわっていったような気がする。

グループ経営は業態や規模によって柔軟に考える必要がある。internationalからmultinationalそしてglobalなのであるが、今はmultinationalが重要であるように思える。それは製造拠点を安い労働市場に集約するという意味ではなく、開発や設計、マーケティングという側面において重要だということだ。

資本の論理からいえば、グループは資源配分ということになる。しかし、multinationalなマネジメントができなければ、市場分析が甘くなり、グローバルな判断もできないだろう。データだけを見て資源配分は難しい。完全な競争市場であり、情報も含め完全な民主主義でなければ効果的なデータは得られない。
結局は、現場を見る人材の力量が重要となる。




1980年代後半~90年代 物流

現場を見ることが基本である。改善も戦略も現場を見ることで気づく。気付きがなければ諦めた方が良い。物事を直視すること。仮説を持つこと。検証すること。実験すること。コンサルティングに限らず、マネジメントの基本である。

最近は、ネットが発達したせいか、情報をやりとりする。Skypeも便利であるが、情報交流の域を出ない・・・私には。
気付きが触発されない「場」は情報でしかない。

倉庫、トラック、乙仲、宅配、コンテナ・・・物流は面白い。情報ではなく、モノが動くから面白い。関東、関西・・・4年担当した。
当時、バーコードで荷物を管理する初期の段階であった。コンベアで荷物が流れていると、その音で、バーコード端末のバッテリーが切れて、ピッという音が聞こえないから、切れたのに気付かない。
子供携帯に位置情報機能があるが、当時のトラックには最先端であった。在庫をゼロにすること、設備稼働を間断なく行うことは、製造業にとって経営存続を左右する。よって、納期は遵守である。今では、時間でラインに届けなければならないし、会計基準もそうなってきた。

倉庫は数えきれないくらい観察した。倉庫を見ていると、荷主の業績がわかる。倉庫といっても場内作業が含まれていて、ちょっとしたラインだ。単に保管して出荷するだけではない。

魚市場の支店にいった。様々な魚がコンベアに乗って流れてくる。仕分けをしないといけない。鮮度管理も必要になる。匂いもきつい。お昼休みの時間になっても、一旦荷物をさばきはじめたら、やめるわけにはいかない。汗を流す現場は気持ちが良い。

仏像の解体と輸送と組み立て、車両の輸送と設置、生ものの梱包とハンドリング・・・物流は情報システム会社ともいえるが、極めてアナログの部分が厳然と残っている。モノは人が届けるものだ。

2000年ごろ ITベンチャー

楽天、ソフトバンク、サイバーエージェント、ライブドア・・・皆知っている会社だ。その前に、ITベンチャーとして日米で成功した会社が存在した。

創業者は高校生の時よりから起業の準備をしていた。中小企業を育成しなければ日本の経済の再生はない、というビジョンであった。
急成長した組織には、様々なひずみが存在する。
若い社員、膨らんだ資金、過大な投資、儲け優先の株主・・・そして組織。
私は人と組織を担当した。既に外資系コンサルティング会社出身の役員が顔を揃えていた。私もそれとなく誘われはしたが、断った。私はコンサルタントである。ストックオプションも要らない。

成長を考えすぎ既存顧客の成長を軽視した。気づかないうちに。業績が悪化すると、株主が動く。役員も転職した。

起業と事業を継続することは異なる。
若者たちのは実現したが、消えた。しかし、それは他のベンチャーを後押しし、教訓を残すという歴史的資産を残した。


1980年代前半 海運業

元海軍軍人(将校)が起業した会社である。

5年近くに及ぶコンサルティングであった。毎日の様の通勤をした。その会社の若手社員は、私が外部の人間だとは知らない人もいたぐらいだ。
ある目標に向かって進むプロジェクトであった。長期経営計画とそのプロセスの標準化。外航船は、建造船の数、建造コスト、集荷とオペレーションが鍵である。船のコストはhire rateという。1回の航海の採算をcharter baseという。

天候と波は必ずしも一致しない。航路の取り方によっては、ノットが落ちる。

インド洋航路、北米航路・・・どの港に寄港し、何を積んで何を降ろすか、LCは準備されているか・・・集荷、オペレーションとの連携が鍵である。
カーゴによっては、タンクを洗浄しなくてはいけない。左右のバランスが悪いと運航にロスが出る。
幾つものタンクを左右に持つ構造は、戦艦武蔵で培われた日本の最高技術である。


プロジェクト専用にオフコンを入れてもらった。IBM5550も買ってもらった。OASIS最上位機種も買ってもらった。
朝から深夜まで365日働き詰めのビジネスであるが、楽しかった。

日本が戦争をした背景は様々と思う。食とエネルギーもその一つだ。日本のシーラインを自国で守ることが国を守ること。それが起業の趣旨だ。バックしながら佐世保まで帰艦し、生き残った者としての役割を果たそうとした社長だった。
偶然か、私の父親も南氷洋の船乗りであった。

1990年代 40%生産性向上

ある自動車部品会社での取り組み。5年ほど要した。

BPRという流行りものがあった。正解はない。経営診断を行い、事業戦略の分析、方向性、組織改変、業務プロセスの見直し、改善、定着、成果測定、要員再設定、新規事業の開始・・・そして上場に成功した。

当初70%の生産性向上を目指した。理論上は70%のデザインであったが、手戻りなどもあり、40%で定着した。
完成車メーカーへ行き、満足度調査など行った。完成車メーカー(購買部門)の意向を探ることが必要であった。

設計が品質とコストを大きく左右する。途中、コンカレントエンジニアリングのプロジェクトを立ち上げた。
営業、設計、購買、生産管理、生産技術などキーマンが集まり毎週ディスカッションを繰り返した。そして何年も続いた。

仕上げ段階でERPの導入を図ったが、内容は杜撰なものであった。結果的にこちらサイドがシステムを完成させるような状況であった。
以来、それがトラウマとなり、私はERPが好きになれない。

事業セグメントごとに組織機能をシンプルにする。全社のプロセスを視覚化した。業務体系化した。部門を超えて視覚化するのは、外部の人間がやり易い。
改善アイデアは数万となったが、絞り込んだアイデアを試行錯誤で展開することになる。、毎週測定をする。現場にも負担をかけた。

簡素化された組織は、コストダウン目標を達成し、余力を新規開発・新規事業へ振り向けることができた。後に日経ビジネスでその事例が紹介された。そして上場を果たした。記念に升を頂戴した。


1990年代半ば 総合化学

化学、繊維など手掛けるグローバル企業に約5年間、時間生産性向上の取り組みでお世話になった。

戦略的に組織・業務を見直す活動。分析的に積み上げ式でムダをなくす取り組み。一人ひとりの意識革新。この3つを有機的に組み合わせたプログラムである。
最初は、組織文化診断を行い、マネジメントの課題を全体的に定量化・構造化することからはじめた。

東京本社、大阪本社それぞれから残業の多い、多忙な部門をモデルで選び、成功したら横展開する。
現在、このプログラムはタイム・キャピタル・マネジメントとしてパッケージされている。

クライアントが優秀であったおかげて結果的に成功するのであるが、プロジェクトを通じて、その企業の思想と文化を学べたことが最大の財産となった。
繊維というのは戦前戦後を通じて、日本を牽引してきた産業である。それは天下国家を考えることそのものであった。
1985年にプラザ合意があり、1年間で40%の円高となった。結果、工場は海外へ移転することになる。毎年、合理化が行われた。

合理化の嵐が吹く中で、繊維復活の切り札として炭素繊維があった。長く赤字部門であったが、歴代のトップが開発投資を続けた。
プロジェクトを推進していただいた当時の社長は他界されたが、リーダーシップは生き続けている。

1980年代 業務改善と情報システム

当時のビジネスモデルにおいて、改善は組織力を高め、品質を向上させ、コストダウンを可能とし、競争力を高めた。

改善は工場の現場において、IEなどの手法を用いて日常的に取り組まれた。
ホワイトカラーを生産性向上は、IEの成功モデルから学ぶという姿勢から始まった。昭和42年のことである。
当時は事務改善ともいわれていた。私は業務改善リーダー養成コース(3日間)の講師を務めていた。

90年初頭、ERPが紹介・導入されるようになった。
情報システム、SE、SIを対象に業務改善の教育を多数行った。
結果的に浸透はしなかったと私個人は評価している。
システムを導入することが目的であり、改善は目的ではない。面倒な改善ではなく、フレームワークをような器にはめ込んでしまった方が迅速に標準化され、効率化される・・・。

30年経った今でも、業務改善の思想と手法は有効であると思われる。
ちなみに、業務改善には8原則というものがある。システム化・IT化というのは8番目である。1番目は、廃止である。

1980年代後半 品質コスト

今ではマルコム・ボルドリッジ賞は有名である。その原点ともいうべき活動として、クオリティ・マネジメントがあった。

当時、大手電気と共同で実験的取り組みをしようと、という話だったと記憶している。
モデル企業として、ある伝統的大手企業において、クオリティ・マネジメントの品質コストに関し、取り組むことになった。
品質コストは、本来求められる品質を維持するために別途発生したコストである。
このコストには、行動も含まれる。そこで活動原価の算定が必要となる。
調べてみると、コストの殆どが品質コストである職場もあった。本来発生してはいけないものである。
リコールなどは品質コストの最たるものである。

品質コストは改善によって解消されるべきものだが、近ごろのIT系サービスは、顧客自身に更新、修正、入力などさせ、転嫁しているように思える。
いち早くサービスを市場に提供したいという気持ちもわかるが、品質が安定しないものを、検証不十分なものを、市場に出すことは、結果的に相応の関係しか構築できないのではないかと思う。

品質コストは、プロセス・マネジメントがきちんとできていないといけない。つまりは組織の改善力が根底として求められる。
これは結構面倒なので、結果的には、アウトソーシングすることになる。或いは、優秀な個人が負担するという事態を招くことになる。
戦略的にはアウトソーシングや水平統合が良いということかもしれないが、それはこっちに置いておいて、品質コストが把握できていない職場は、組織力を疑った方がよいのではないか。